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第2回「気がつけば○○ノンフィクション賞」最終審査に進む3作品を発表いたします。

たいへん長らくお待たせしてしまいました。まずは、この場を借りて謝罪をさせてください。

というのも、第2回「気がつけば○○ノンフィクション賞」は、昨年12月31日で公募の締め切りを終え、受賞作の発表は2024年3月29日(金)とさせていただいておりました。にもかかわらず、すでに受賞作発表の日と定めていた日から約1か月の時が流れ、さらには、いまだに最終選考に進む作品の発表もできずにおりました。これら進行の遅れについては、完全に主催した私たち古書みつけの不徳と致すところです。発表を楽しみにしていた方々にはご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。

さらに、最終選考へと進む作品の発表延期の告知の日付も昨日でしたが、そこも間に合わせることができず重ねてお詫び申し上げます。

今後の流れですが、すでに最終選考員の方々との打ち合わせも終え、御三方に読んでいただく時間も確保しました。

ここからは、最終選考員である、加藤正人さん、倉田真由美さん、本橋信宏さんの3人に最終選考進出作品を読んでいただき、5月、6月を選考期間とさせていただきます。受賞作の発表につきましては、大幅に遅れてしまっておりますが、2024年7月5日(金)とさせていただきます。

なにとぞご了承いただけますと幸いです。

さて、いよいよ最終選考に進む作品を発表したいと思うのですが、もうひとつ前置きをさせてください。

前回のときもそうでしたが、選考基準などについても触れさせていただければと思います。

まずは、今回の第2回目に公募では、64本の「気がつけば○○」が誕生しました。

ご応募くださった皆様、本当にありがとうございました!

今回の公募作品を読み進めるうえで、改めて感じたことがたくさんありました。

さまざまな方が言葉にしていることではありますが、「人生こそがエンタメ」であり、誰もが「映画のような人生」を生きているのだと思います。

今回エントリーされたどの作品も、彼、彼女にしか書けなかった唯一無二の物語であり、だからこそ、甲乙をつけることなどできるわけがありません。

64の紆余曲折、七転八倒あったイロトリドリの人生を、しっかりと楽しませていただいたことを申しあげさせていただきます。

キラキラと輝くステキな物語をありがとうございました。

それを踏まえたうえで、古書みつけがすでに3冊を世に送りだしている「気がつけば○○」シリーズと同様に、古書みつけとしての商業出版が可能かどうか、一次選考をさせていただいた私(伊勢)自身が多くの人に読んでほしい、届けたいと感じたかどうか、そのあたりを基準に3作品を選定させていただきました。

なお、これは前回もお伝えしておりますが、選考に漏れた方のなかにも、「これは!」と思えるものがいくつかあり、それらについては、別でご連絡をさせていただくことになるかもしれません。※第2弾である、「気がつけば認知症介護の沼にいた。」はまさにその流れで誕生した作品です。

いずれにせよ、「どうして私の作品が選ばれなかったのか?」「読んだ感想をお聞かせ頂きたい」など、第1回目の際もそういったお問い合わせがいくつかあったのですが、すべてにお答えすることが難しいため、平等性を保つためにもご回答は控えさせていただいていますので、ご了承いただけると幸いです。

とはいえ、選考基準についてはお伝えできますので、発表の前に選考基準についてお話させてください。
※前回のときとほぼ同じではありますが、前置きさせてください。

3作品を選んだ8つの理由

最初におことわりしておきますが、わたくし、職業が「編集者」ではありますが、皆さまの渾身の作品に対して、書評ができるほどそんな大それた人物ではありません。

編集者としての実績にしろ、本好きとしての読書量にしろ、まったくもって、大手出版社が公募しているような賞にかかわる審査員とは比べ物にならないほど、貧弱な素養しか持ち合わせてはいません。

だからこそ、セレクトさせて頂いた3本以外に、「優秀な作品」がなかったのか? と問われれば、「否」とお答えいたします。私の審美眼が優れていなかっただけかもしれませんし、なにより、皆さんが日々の生活を捧げて書き上げた作品はそれだけで「素晴らしい作品」であることは間違いなく、どの原稿もまぶしいほどに輝いていたことは確かです。

ですが、今回の賞については、「古書みつけ」が、「古書みつけ」としてシリーズ化していきたいと思える作品を選ばせて頂きましたので、「好み」という要素が多分に影響を及ぼしていることもまた、確かな事実です。

特に、本公募の受賞作は商業出版をすることになりますので、決して少なくない制作費が発生いたします。

それらも含めて、「共に歩いて行ける」「共に歩いて行きたい」、そう思わせてくれた作品にしぼらせて頂きました。

おこがましい話ではありますが、いくつかの選考に当たってのポイントだけ列挙させていただきます。

1、まず、冒頭に、読者を物語へと引き込む魅力があるかどうか

2、あくまでも自分史ではなく、読者がいることを想定して書かれているかどうか

3、「気がつけば○○」というお題に沿った形式になっていたかどうか

4、どこかの誰かの胸をうつ、ささる可能性がある内容かどうか ※少なくとも私にささったかどうか

5、出版と同時に映像化も目指すため、内容が映像に適しているかどうか ※物語を読みながら各シーンの絵が浮かぶかどうか

6、この作家さんに会いたいと思ったかどうか ※商業出版をする場合、確実に受賞者とはお会いして今後について進めていくことから、人間的な魅力を感じたかどうか

7、少なくない制作費を捻出して世に出したいと思ったかどうか

8、前回はありませんでしたが、第2回公募を開始したタイミングで、第1回目の受賞作の発売は開始されていましたので、前回受賞作である「気がつけば生保レディで地獄みた。」から、古書みつけの傾向と対策を研究されたうえでのエントリー作品だったかどうか

以上、8つのポイントに当てはめながら、選出させていただきました。

では、そんな条件を見事クリアした3作品のタイトルと作家名を発表いたします。※「気がつけば」のあとの冒頭文字の50音順にて。

さらに今回は、冒頭の一文や、印象的な一文を簡単にご紹介させていただき、なんとなく作品内容がわかるようにしてみました。

医療的ケア児の母になっていた。

「気がつけば医療的ケア児の母になっていた。」結芽かえで(ゆめかえで)

これは、娘と過ごした4年10か月の記録である。
幸せなひとときであった。しかし、そうでないことも多かった。
命がけで闘ったあの頃の記憶が、誰かの役に立てたなら、それだけで私の辛い過去は報われるだろう。

親の生き方に囚われていた。

「気がつけば親の生き方に囚われていた。」生天目安昭(なまためやすあき)

これは私という1人の奴隷が、牢獄という名の実家で、看守という名の両親とともに、歩んだ苦痛の日々の物語である。
両親とともに、人生の鈍行列車に乗車したことにより体験したことを綴っていく。
この作品で両親の人間性を否定することになるだろう。
裏切り行為になるだろう。
それでも私はこの想いを綴らずにはいられなかった。

保育の世界で死にかけた。

「気がつけば保育の世界で死にかけた。」オリエンタル納言(おりえんたるなごん)

保育士が悪い意味で注目されている今、潜在保育士として声を大にして言いたい。
子どもが嫌いで保育士になる人なんていない。
子どもに虐待をするために保育士資格を取った人なんていない。
原因はもっと別のところにあるんじゃないかって。
園の過酷な環境の中で、そして保育士という職業が軽んじられている社会に、苦しんでいるんじゃないかって。

※ちなみに、この作品には、すでに、「気がつけば○○」シリーズ統一のサブタイトルもつけられていたので追記いたします。

~もしくはマッチングアプリ女子の極私的物語~

今後の流れについて

以上、3作品になります。

それぞれまったく異なるジャンルであり、いずれも映像化した作品も観たいと思わせる魅力にあふれていました。

すでに著者の方にはご連絡はさせていただき、最終審査へと進むお話はしてあります。
※なお、タイトルにかんしては、受賞が決まった時点で、再検討する可能性はあります。

今後ですが、冒頭でもお話させていただいた通り、3作品の原稿を最終審査員の御三方へと送付させていただき、5月から6月にかけてで原稿を読んでいただき、書籍化する作品を選んでいただきます。もちろん、「受賞作ナシ」の可能性もありますが、その有無にかかわらず、お約束の7月5日(金)には発表させていただきますので、今しばらくお待ちください。

はたして、この3冊と共に並べられる作品が誕生するのかどうか、引き続き「気がつけば○○ノンフィクション賞」をお楽しみください。

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